創業1905年・・・
時代を受け継ぎ
次世代へと伝える技・智慧・心。
四季折々の変化と庭園ひとつひとつの歴史を
私ども東光園緑化は見守り、
育み続けています。
設立の主旨
東光園緑化の設立の主旨は、造園工事業を専門とする業種を母体の東光園はから分離独立させることにありました。
当時の前進東光園は、田丸亀吉が明治38年11月に創業した貸植木業と造園工事業を業務とする企業でした。
終戦直後の昭和21年、進駐軍兵士とその家族のために大規模な進駐軍住宅が各地に造られ始めました。東光園はそれらの中でグラントハイツ※(東京都成増)の造園工事を受注施工しました。
東光園の2代目、長男田丸實(当時32歳)は、今後の日本では造園緑化業の需要は大幅に拡大するとの判断から、貸植木、すなわち室内緑化装飾と造園緑化工事業を兼業とする体制を改め、造園工事を専業とする新しい会社を分離設立するべきであると考えました。この設立理念と共に若い人達で日本の今後の造園界を育てていこうとの決意をもって新会社東光園緑化をスタートさせました。
※グラントハイツ…1947年から1973年まで東京都練馬区に存在したアメリカ空軍の家族宿舎。
社名の由来
明治38年(1905年)、創業者の田丸亀吉は、勤めていた新宿御苑から独立しました。
日本初の貸植木、温室植物の栽培、造園工事、土木工事を生業として。
若干18才、今でいうベンチャー創業です。
東京新宿御苑の技師 西島久一郎様が、朝日のごとく事業が隆盛していくようにと願いを込めて「渋谷東光園」と命名して頂いたことに由来します。
昭和15年(1940年)、事業の拡大と今後の発展を期し、「株式会社東光園」として法人化しました。
昭和22年(1947年)11月、二代目 田丸實(みのる)は、貸植木部門と造園部門を分離独立し、造園部門を「東光園緑化株式会社」として新設しました。
第二次世界大戦の傷跡が癒えぬ頃、造園建設業の発展を見据えた「緑化」という言葉。
今では日常的に使われますが、当時は非常に珍しく、一般化するまで30年近くもかかりました。
歴史や伝統に甘んじることなく、変化を察知し、改革への勇気と行動力をもつ重要性を、社名がいつも私たちにそっと教えてくれます。
社章の由来
社章は、一本のヒマラヤ杉を、亀甲の六角形で囲んだデザインです。
初代 田丸亀吉の「亀」の字から、亀甲模様をあしらい、冬でも落葉しない針葉樹ヒマラヤ杉のように、真っ直ぐすくすくと成長するよう、願いが込められています。
昭和22年(1947年)に、商標登録をした記録が残っています。ロゴは、ローマ字で「TOKOEN」と。当時は、きっとハイカラだったと思われます。